2011年08月21日

ボランティア活動報告書を作成

 このブログに掲載してきた福島県相馬地方でのボランティア活動報告の記事と写真を、一部、編集しなおして簡単な報告書を作成しました。
レポート表紙

 そのPDFはコチラ→福島ボランティア報告書。ぜひ、お読みください。
 この報告書にもとづいて京田辺市の防災担当の職員の方にも、現地の様子などを伝えました。

 また19日には、「しんぶん赤旗」日刊紙の関西面に、「手記」という形で私の報告の記事を掲載してもらいましたが、その記事を見て大学時代の知人から連絡があり、「原発ゼロTシャツ」の注文がありました。
 今回のボランティアの経験を生かして、これからもがんばっていきます。
posted by こうじろう at 19:13| Comment(0) | 福島へボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月20日

ボランティアの食事など

 ボランティア活動報告の最後に番外編として、現地での宿泊、食事、お風呂のことなどにふれます。
 私達は男性ばかり4人だったので、南相馬市の日本共産党事務所や、党ボランティアセンターに泊まりました。どちらも6〜8畳くらいの広さの部屋で畳もあり布団も借りて寝泊りしました。
 女性のボランティアの場合は、南相馬市のボランティアセンターの近くにあるビジネスホテルなどを紹介してもらえます。料金は3千〜5千円くらいからあります。

 お風呂はそれらのホテルなどの浴場が1回400円〜500円で利用できるので、私たちも着いたその日から毎日、入りに行きました。近くにはコインランドリーもあるので、洗濯等も出来ます。

 食事についても普通に外食できます。着いた9日の夜は党事務所の近所のラーメン屋、10日の朝はボランティアセンターで炊き出し、昼は聞き取り調査をしている地域にあるスーパー(品物もそろっており、日常生活に必要なものはだいたい売っています)で弁当などを買いました。夜は近所のお好み焼き屋さんです。
 11日の朝は近所のコンビニで買いました。昼は聞き取り調査をした地域にあるファミリーレストラン、夜はとんかつ屋さんで定食を食べました。
 お店などは閉鎖したままのものもあったり、営業時間を短縮したりしているのもありますが、車で移動していれば、そう困ることはありません。

 ただお好み焼き屋さんは、関西のものとは微妙に違います。美味しいことは美味しいのですが、鉄板の温度が低くて焼けるまでにずい分時間がかかります。それにソースも「甘口」「辛口」の2種類ではなく1種類しかありません。「文化が違うなあ」と思いました。
お好み焼き

 最後に、今回のボランティア活動で、合計113枚の写真を撮影しました。その内、原発事故関連といえるのは15枚しかありません。私は同じところで何枚か同じような写真を撮るのですが、それでも原発事故関連は15枚です。
 大半は津波被害の写真です。このことをとってみても、原発事故災害がいかに目に見えないものかがわかります。
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2011年08月19日

津波被害の凄まじさ 2

 相馬市の海岸沿いは海水浴場として賑やかなところだったそうですが、ここも軒並み流されています。下の写真は何とか残ったガソリンスタンドとそのすぐ近くにあるスーパーの建物です。
相馬市津波7
相馬市津波8

 この周囲はかなり家が多かったそうです。ガソリンスタンドの向い側には家の土台が残っていました。「聞き取り調査3」の記事の最後に載せた写真は、ここで撮影しました。
 そのすぐ近くにある、ごく普通の道路標識ですが、その下の部分が折れ曲がっています。あの高さを津波が通っていったということです。(下の写真)
相馬市津波9

 相馬市には「松川浦」という入り江があります。東西1.5キロ、南北4.5キロ四方くらいの内海があり、外海と隔てている「大洲海岸」はかつては白砂青松の美しい景観をもつ砂浜で、道路と松林、そして堤防があったそうです。津波によってそこも壊滅し、松林はほとんど流され、一部ですが、海岸そのものまで切れています。下の写真は内海である「松川浦」に面したところから、「大洲海岸」を写したものです。
相馬市津波10

 写真の中央辺りが海岸そのものが流された部分で、外海が直接見えます。この海岸は幅が100m以上あるようですが、それがほぼ200mにわたってすっかり無くなっています。
 下の写真は堤防が切れた辺りを拡大したものですが、左側の松の木の根元付近に白いものがあるのが分かるでしょうか。これはマイクロバスで、津波が一度陸へ押し寄せた後の引き潮の時にマイクロバスが流されてあそこで止まったものらしいです。
相馬市津波11

 このあたりの内海には家が流されてきて水没したままのもあります。
相馬市津波12

 そしてこの辺も70センチほど地盤沈下しており、道路と海がほぼ同じ高さにまで迫っています。(下の写真です。左の、海の中にあるのはマイクロバスの屋根です)
相馬市津波13

 ちょうど満潮の時間帯だったこともありますが、これだけ海と道路の高さが同じだと、大潮の時や台風などの時には冠水するおそれがあります。

 最後の写真は流されて田んぼに船がごろごろ転がっている様子です。ここは海沿いに漁港があり、海から3キロ離れた辺りですが、ぐるっと見渡せる範囲に大き目のボートなどを含めれば20隻以上の船がありました。
南相馬市津波14
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2011年08月18日

津波被害の凄まじさ 1

 10、11日と、聞き取り調査が終わった後に地元の方に海沿いを案内してもらい、津波の威力がいかに凄まじいものだったかを教えていただきました。
 津波が襲ったところはきれいに何もかも流されています。下の写真は南相馬市の海から700mくらいのところから海岸を写したものです。
南相馬市津波2

 これだけ見るとなんだか造成が終わったばかりの工業団地か何かのようですが、地元の方によると本来、ここからは家などがあって海岸線はあまり見えなかったそうです。そして海岸線にもこの時は松が一本しかありませんがずらーっと松林があったのですがそれも全部流されたそうです。
 いくつか瓦礫が残されているところもありますが、瓦礫が運び出されると何も残っていません。
南相馬市津波3烏崎公民館

 上の写真は「烏崎」という地域で、そこの公民館です。ここにも公民館の周りにあった家が全部流されて残っているのはこの公民館の建物だけですが、それも外壁しか残っていないです。
 下の写真は公民館1階部分ですが、海とは反対側にある壁が外へ向かって膨らんでいます。
南相馬市津波4

 津波は海沿いの高台を乗り越えています。下の写真は海に面した崖から下を撮ったもので、70センチくらい地盤沈下しているとはいえ海面までは20mはありそうですが、津波はこのがけの上にあった建物などを押し流しています。
南相馬市津波5

 このすぐ側に別荘が建っていたのですがその家も丸ごと流されました。(下の写真がその跡です)そしてそこから20mくらい離れた所にはこの地区のグランドがあり、地震の直後、近所の方が津波が来るかもと、その高台にあるグランドへ40人くらい避難していたそうです。しかし津波は海面から20mくらいの高さをそのまま乗り越えて家やグランドまで押し流し、避難していた人で助かったのは3人だそうです。
南相馬市津波6
posted by こうじろう at 17:50| Comment(0) | 福島へボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月17日

聞き取り調査から 3

 南相馬市と相馬市での聞き取り調査で、実際に住民の方からお聞きした生の声を私のメモにしたがって、そのままお知らせします。

○相馬市・30才くらいの女性
 家が津波で流されて仮設住宅に7人で入っていた。私らは公営住宅の空きに入れたが、おじいさんとおばあさんは仮設にいる。ただ色々あって土日以外はここへいる。子どもは小1、小4、中2。小学生の子はバスで南相馬市の小学校へ通っているが慣れるまで大変。小4の子が間近で津波を見ており、そのときのことを思い出して不安になってしがみついてくることがある。
 放射能の不安ある。子どもの方がTVを見ていて怖がる。特に中2の娘は野菜とかぜんぜん食べなくなった。食べ物のことが一番心配。

○相馬市・60才くらいの女性
 原発だけなんだけどね。静岡で孫が去年の夏に生まれてまだ一度も顔を見ていない。ほんとならこのお盆に帰ってくる予定だったけど、帰ってこなくていいと言っている。原発だけ止まってくれたらいいのに。
 仕事先は海沿いで職場は津波で流された。9月から再開すると連絡あったが、海の方は怖くて行けない。

○相馬市・70才くらいの女性
 地震で家の屋根が壊れて雨漏りが心配。大雨の時に瓦屋が来てくれてシートをかけてくれたけど。修理にいくらかかるかわからないし、年金暮らしなのでどうしたらいいのか。家のローンも残っているので大変。

○相馬市・50才くらいの女性
 3月下旬から7/10まで4ヶ月近く宇都宮に避難していた。せめて旅費くらいは出してほしい。相馬は原発事故で何もなかったと線引きされているがおかしい。一軒一軒きちんと放射線量を測ってほしい。きちんと測って、避難したところは補償してほしい。
 みなで避難していたが夫だけ仕事があるので一足先に戻った。野菜をどれだけ食べたらいいのか、水とか大丈夫なのかわからない。情報を知らせてほしい。

 下の写真は相馬市の海沿いの地域で、あたり一帯が根こそぎ津波で流され、家の土台だけが残り、遠くまで見通せるようになっています。
相馬市津波1
posted by こうじろう at 15:21| Comment(0) | 福島へボランティア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする